四百年以上の歴史を持つ錦市場の魅力
これは正式な記録によるものではありませんが、
平安時代のころには、すでに現在の錦市場のあたりに市が立っていたと推測されています。
そして時が経ち、1615年に江戸幕府が京都に公認した
上の店(かみのたな)、錦の店、六畳の店の
三店魚問屋(さんたなうおとんや)で一つの錦市場となりました。
これが、本格的な魚市場としての錦市場の始まりです。
日本三大祭りの一つに数えられる祇園祭において、独特な装飾が施された山鉾が巡業する「山鉾巡業」は有名ですが、八坂神社の祭神を奉じた三基の神輿渡御(神幸祭・還幸祭)こそ、祇園祭のメインイベントです。
これらの神輿のうち一基は、錦神輿会が御奉賛いたします。祇園祭に向けて商店街全体が協力し合うことで、地域のつながりが深まり、錦市場特有の一体感と魅力が生まれるのです。
『京の台所』と称される錦市場には、京野菜や琵琶湖の川魚、はも、ぐじ、湯葉、生麩など、京料理に欠かせない旬の食材が一堂に集まってきます。京都独特の食文化に触れ、専門的な知識や食べ方をお店の人から聞くことができるのも魅力の一つです。
年末やお正月には前に進めないほど多くの人で賑わい、京都の街の風物詩となっています。
道幅3.3メートルの錦小路通りは、東西約390メートルに渡って、両側にさまざまな店が軒を連ねます。
一際目を引く、朱・黄・緑のアーケードは錦市場の象徴のようになっていて、雨の日でも散策が楽しめます。三色の屋根を通して入る光は食品を照らしてよく映え、その屋根は食品を守る役割も果たしています。
『奇想の画家』と称される伊藤若冲は、独自の構図と卓越した色彩で知られ、日本だけでなく海外でもその名を広めています。錦市場では彼の絵が各所で見られ、訪れる人々を楽しませています。
若冲は錦市場の青物問屋に生まれ、野菜や果物を描いた作品を数多く残しました。市場の西入口には彼の生家跡を示すモニュメントがあります。
さらに若冲は、画業の傍ら町年寄として市場の存続にも尽力し、その功績により「錦市場中興の祖」として称えられています。
『京の台所』錦市場の発展には、豊かな地下水の存在が大きく寄与しています。平安時代からこの地域は質の良い地下水に恵まれており、冷たい水は魚や鳥の保存に最適でした。また、京都中心部に位置し、御所への納入が便利であったことも市場の発展を支えました。
「降り井戸」と呼ばれる井戸が各店舗にあり、一年中15〜18度に保たれる「錦の水」を利用して、生鮮食材の保存に役立てられたこの水は、錦市場を支える名水として知られています。